前回に続き、金沢散策です。今回は金沢城です。 金沢城は、幾度の火災と軍施設としての利用によってお城自体は明治時代にはなくなっています。昭和に入って城内には金沢大学が建設されたいたので今のお城が出来るまでは、城址の一部の石川門が観光の目玉となっていました。
金沢城公園
東茶屋街から徒歩で10分ぐらいで金沢城公園の大手門口に到着します。城壁が見えます。
近づくとお堀があります。400年近く崩れずにあるとはたいしたものです。
マップでは赤枠のところです。
石の形が様々です。これは攻めにくくしたものなのでしょうか?以前タモリの番組でやっていたのですが忘れてしましました。
大きく目立つものもあります。これ芸術性をあしらったのかな?想像が膨らみます。
所々に説明が掲げられています。
大きさの違う石を適当に積み上げて表面だけ合わせたのかな?
城壁を超えると、視野が開け奥に金沢城が見えます。日曜の12時くらいで人があまりいませんでした。家の近くにこういうところがあったらいいなと思います。
マップでは
金沢城に向かって進みます。
近づいてきました。
河北門
河北門が正門だったんですね。有名な石川門の方だと思っていました。
マップでは
石垣の色で古い時代のものと近年作られたものがはっきりとわかります。
いよいよ城内に入っていきます。こちらも新しいものです。
河北門の2階からの撮影です。見張りはこのような景色を毎日眺めていたのでしょう。
河北門の内側です。
左手に石川門が見えます。
石川門に向かいます。右手には五十間長屋が横たわっています。お城というと古い建物を思い浮かべ、このように新しいものは近年建てられたものなので魅力が薄くなるのですが、当時お城が立てられた時の姿と思って眺めれば、それなりに楽しめます。
石川門
いよいよ重要文化財の石川門です。
こちらは約200年前の建物です。壁や瓦は修復しているのでしょうか。とてもきれいです。
マップでは
中に入るとその歴史の古さを物語っています。
太くて立派な木材が使用されています。
窓から外を見下ろせます。
こんな感じで外の人を見ていたのでしょうか?
壁板も幅の広いものが使われていました。
五十間長屋
次は、いよいよ五十間長屋です。
マップでは
橋爪門をくぐります。
開けています。
それでは新しく建てられた五十間長屋を入ります。ここは、入場料がかかりました。兼六園と含めて520円でした。この日は県民開放の日だったのか県民は無料とのことです。今は県民でないのでお金を支払いました。
料金を取るだけあって説明もしっかりしています。
高所恐怖症の人は引いてしまう窓がありました。
写真ではきれいに撮れなかったでWikipediaから引用させてもらいます。
戦国時代・安土桃山時代
- 天文15年(1546年) - 空堀や柵などを備える城造りの寺院であった尾山御坊(金沢御堂)が建立され、加賀一向一揆で加賀の支配権を得た本願寺の拠点となった。
- 天正8年(1580年) - 佐久間盛政が尾山御坊を攻め落とし、金沢城と改称して用いた。
- 天正11年(1583年) - 賤ヶ岳の戦いの後、羽柴秀吉(豊臣秀吉)から加増を受けた前田利家が4月28日(新暦6月14日)に入城し、尾山城と改称した。
- 天正15年(1587年) - バテレン追放令により除封されたキリシタン大名高山右近が利家に呼ばれ、尾山城の大改造を行った(再び金沢城に改称されたのはこの頃といわれている)。
- 文禄元年(1592年) - 利家の子、前田利長が再び改造を行った。
- 慶長7年(1602年) - 天守が落雷によって焼失、代わりに三階櫓が建造された。また、この頃から金沢城という名称が定着した。
江戸時代
- 寛永9年(1632年) - 辰巳用水が城内に引かれた。
- 宝暦9年(1759年) - 宝暦の大火に見舞われる。
明治以降
- 1873年(明治6年) - 全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方により存城処分となり、陸軍省の財産となる。
- 1875年(明治8年) - 陸軍歩兵第7連隊が金沢城址に置かれた。
- 1881年(明治14年) - 火災で石川門と三十間長屋と鶴丸倉庫を残して焼失。
- 1898年(明治31年) - 陸軍第9師団司令部が金沢城址に置かれ、第二次世界大戦が終わるまで存続した。
- 1949年(昭和24年) - 戦後新設された金沢大学(丸の内キャンパス)として使われた。
- 1995年(平成7年) - 金沢大学が移出。
- 1996年(平成8年) - 石川県が国から金沢城址を取得し、金沢城址公園として整備を開始。
- 1999年(平成11年) - 金沢城の復元整備事業の第1期工事に着工。
- 2001年(平成13年) - 第1期工事により、菱櫓・橋爪門・橋爪門続櫓・五十間長屋が復元完了し、金沢城公園と改称された。復元に当たって実際の木材は六寸角だが現代の耐震建築基準に合わせて八寸角が使われた。
- 2006年(平成18年) - 日本100名城に選定された。石川県と金沢市は、金沢城址を中心とする「城下町金沢の文化遺産群と文化的景観」の世界遺産(文化遺産)への登録を目指し、「世界遺産暫定一覧表」への記載を国(文化庁)に共同提案したが、継続審議が適当とされ追加記載には至らなかった(#外部リンク参照)。
- 2008年(平成20年) - 金沢城跡として国の史跡に指定された。
窓からは、街並みが一望出来ます。
一番高いところに上ってみました。軽暖が結構急で(55度)降りるときは怖かったです。
こちらが模型です。今建物として存在するのは黄色い部分です。天守閣がないんですね。本来はピンク部分にあったようですが慶長7年(1602年) - 天守が落雷によって焼失してから建築しなかったようです。再現してほしいものですが、その予定はないよです。
こんなイメージだったようです。
参照:復元金沢城模型 032 建造物の取付け完了 ( その他趣味 ) - お城のジオラマ 鍬匠甲冑屋 - Yahoo!ブログ
天守閣の再建を行わない理由もブログ記事として書かれています。
理由のひとつは「復元するための資料がかなり不足」ということだそうで
す。そこで何をしているかというと、城内にあった建物の資料がそろった
ものから「従前の構造で復元する」という作業です。
つまり「かなり大規模な木造建築」を復元しているのです。
木造のミニュチュア模型もあります。
エレベーターも設置されていて車椅子の方も見学ができるようになっています。
ところどころに復元階段があります。入場客のための階段とは別に復元階段があります。かなり急なのです。
このように建築物の構造を部分的に展示しています。
三十間長屋
次は、重要文化財の三十間長屋です。何故か人が少なかったです。石川門を観ていれば必要ないと思っているのかもしれません。
極楽橋を渡ります。
武器が置かれていたようです。中は何もなかったです。
マップでは
2階の梁は、湾曲させていました。
本丸跡地
このまま本丸まで進みます。ここは緑地公園のようになっていてたくさんの種類の樹木が植えられていました。植物が好きな人にいいところだと思います。人は誰一人いませんでした。
マップでは
とても大きな木がありました。もう随分と弱っているのか支えられています。
スダジイという木のようです。根元にいい感じの穴があます。
これもかなり大きなアカマツです。
モミの木です。名前だけ知っていて見たことのない木がありますので楽しいです。
ウラジロガシ
メタセコイヤ
奥には展望台があって兼六園が見えます。
売店の奥が兼六園です。
鶴丸倉庫
重要文化財の鶴丸倉庫です。こちらは入場できなかったので写真だけです。
マップでは
こちらの石垣は揃っています。
2時間くらいかけて、やっと一回りしました。
石川門の出口にボランティアガイドの受付がありました。詳しく知りたい人は、利用するといいと思います。
外からの石川門です。
お堀越しの石川門です。
随分と長くなってしまったので兼六園は次回にします。
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